The pure spirit of Legend
Blairfindy
スペイサイドのシングル・モルト・ウイスキー
 Blairfindy(ブレアフィンディ)は、スペイサイド唯一の一族所有のディスティラリー、Marypark(メアリパーク)のBallindalloch(バリンダロッホ)のシングル・モルトである。法的な理由から、このウイスキーについては本来の蒸留所名を我々がラベル上に表すことなど断じてできないのだ。このブレアフィンディという名を我々が用いるのは、この名が蒸留所のオーナーであるグラント家(The Grants)が身を起こした農場の名だからである。この一族は、”ブレアフィンディのグラント家(BlairfindyGrants)”と称されるのがならわしである。
Blairfindy Castle (ブレアフィンディ城)

この小さな城は、1586年にハントリー伯
(The Earl
of Huntly)
によって、狩猟の際の邸宅として建てられた。
建設当時の特徴が細部に今もなお残っているものの、
残念ながら今日では安全が確保できる状態ではなく、
フェンスに遮断され近づくことは不可能である。
The Grants of Blairfindy, Glenlivet(グレンリヴェットのブレアフィンディのグラント家)

言い伝えでは、ブレアフィンディのグラント家は1527年頃にウイリアム・グラント家
(William Grants)より分家したとのことである。辺鄙なグレンリベットを拠点とし、一
家の子弟の多くがかの地のローマン・カトリックの学校で教育を受け、1775年のジャ
コバイトの蜂起の際にはその大義を支持した。ブレアフィンディのグラント家は、本国よ
りも外地での業績で名を馳せた。18世紀には、聖職者のロバート・グラント(Abbe-
Robert Grant)がドゥエイ(Douay)のスコッツ・カレッジの学長を務め、彼兄弟で同じく
聖職者のピーター・グラント(Abbe-Peter Grant)はローマに住んだ。この一族の末裔には
他にも、ブレアフィンディ男爵グラント大佐(Col.Grant, Baron de Blairfindy)がいたが、
彼はフランス軍の著名な将校であった。ディヴィッド・アレクサンダー・グラント大尉
(Capt.David Alexander Grant)はカナダに移住し、男爵ロングイユ三世(the 3rd Baron Longueuil)の娘と婚姻関係を結んだ。彼らの子孫がロングイユ男爵の名を20世紀に引き
継いだ。J&G・グラント・グレンファークラス・ディスティラリーの現在の所有者であ
り、かつ役職にもついているものたちもまた、この一族の末裔なのである。

ジョン・グラント(John Grant)は、スペイサイドの中心部にあるグレンリヴェットのリン
ベッグ(Lynbeg)の農場で1805年に生まれたのだが、かの地にいくつかの農場を所有し
誉れ高きアバディーン・アンガス種の牛を飼育したことから、農場主として非常に成功する
に至った。彼は生まれたところから2マイルほど離れたブレアフィンディ農場(Blairfindy
Farm)に住み、1827年にはバーバラ・グラント(Barbara Grant)と結婚した。間には、
6人の子供があり、その中には1830年生まれのジョージ(George)という息子がいた。

そんなことから、ジョージがレヒレリヒ農場(Rechlerich Farm)に興味を持ったのもしごく
当然なことであった。というのもバリンダロッホの区画内にあり、1865年には持ち主が
いなくなったのだ。またかの地では、レヒレリヒ農場には、前にこの農場を借りていたロバ
ート・ヘイ(Robert Hay)が1836年に建てたグレンファークラス蒸留所があることでも
名が通っていた。1865年にジョン・グラントが賃貸契約を結んだ際、彼はその蒸留所を
511ポンド19シリングで買い取った。それ以降、蒸留所はグランド家がオーナーのまま
ずっと運営されている。
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